【平成の米騒動】梅雨が明けなかった夏。【1993年大冷害】
上白沢慧音(以下:慧音):梅雨真っただ中だな。
大和守(以下:守):すっきりしない天気が続いて、うんざりするよね。
慧音:まあこの時期の雨が、夏場を乗り切る貴重な水源になるからな。日本の気候の構成要素として欠かせない存在だ。
守:梅雨といえば、やっぱりいつ明けるのかが一番気になるよ!長引いて夏休みにかぶったりするとイヤな気分になるよね…。
…かつて、梅雨が明けなかった年があることを知っているか?夏休みにかぶるどころの騒ぎじゃないなぁ…。
う、ウソ!そんなことあったの?!
それじゃあ今回は、1993(平成五)年、梅雨が明けなかった日本で起こった騒動について解説しよう。
お、お願いします…。
チャプター01:明けない、梅雨。
慧音:1993(平成五)年、日本は6月3日までに全国が梅雨に入った(梅雨のない北海道を除く)。九州南部では平年より2週間ほど、他の地域でも概ね10日前後早い梅雨入りだった。
守:全体的に早めだったんだね。
ところで、平年梅雨入りと梅雨明けの時期に相関関係ってあったりするの?
ないな。梅雨入りが早くても梅雨明けが早まったりはしない。逆もまた然りだ。参考として、関東甲信地方の梅雨入り最速及び最遅の年のデータを載せておこう。
守:本当だ、バラバラだね。63年なんかすごい。GW明けてすぐ梅雨入りって。2か月半も続いてるし。
慧音:ちなみに梅雨明けが最も早かったのは2018(平成三〇)年。6月29日に明けてしまい、梅雨の期間が23日間しかなかった。この年は埼玉県熊谷市で国内最高気温記録41.1度(7月23日。現在はタイ記録)を叩き出すなど、全国的に猛暑に見舞われた一方、西日本を中心に豪雨災害が発生(平成30年7月豪雨)して大きな被害が出るなど、色々と極端な年だった。
守:その年暑かったよ、思い出した…。
慧音:さて、話を93年に戻そう。いったんは例年通りに梅雨明けが発表されたものの、その後も梅雨前線が日本上空に停滞。8月下旬、気象庁は沖縄を除く地域の梅雨明け宣言を取り消した。
取り消しなんてあるの?!
慧音:なにぶん気象現象だからな。梅雨が明けたかどうかは気圧配置の傾向から判断するわけだけど、確定情報じゃない。だからニュースでも「梅雨明けしたとみられる」って表現だろう?
守:そう言えばそうだね。
慧音:そして7、8月を通して曇りや雨が続いたことで、全国的に記録的な日照不足となった。平年と比べるとこんな感じだな。
守:かなり少ないね!これだけ少ないと気が滅入りそう。
慧音:もちろん気温も低かった。平年と比べ、だいたい1.5~3度程度低温だったようだ。平均値でこれだけ違うと、体感として相当涼しく感じられただろうな。
そもそも、どうしてこんな冷夏になったんだろう?
慧音:いろいろ言われているが、一説には火山の噴火が原因だったとされている。2年前の1991(平成三)年、フィリピンのピナトゥボ火山が20世紀の地球上で最大規模の噴火を起こした。この時に噴出した塵やエアロゾルが上空を覆い、日光を遮った(日傘効果)ことで冷夏となった、というものだな。
守:火山の噴火が異常気象の原因になるの?!
慧音:大規模な噴火の場合、地球上の広範囲に大きな影響をもたらすことがある。江戸時代に発生した天明の大飢饉も、浅間山の噴火だけではなく、1783(天明三)年にアイスランドのラキ火山やグリムスヴォトン火山が巨大噴火を起こしたことが原因という説があるぞ。
そうか…。天候不順が続くと農作物が育たなくなるもんね。
そう、そしてこの1993年にも大凶作が発生したんだ。
チャプター02:コメがない…列島パニック!
慧音:冷夏により、米は記録的な不作となった。この年の作況指数(1反あたりの平均収量を100とした値)は、全国平均で74。やませが吹いた東北地方の太平洋側ではより深刻で、青森県で28、岩手県で30、宮城県で37にまで落ち込んだ。
守:壊滅状態だね…。もしこの凶作が江戸時代に起こってたりしたら…。
慧音:多分天明や天保に匹敵する大飢饉が発生しただろうな。
この年の収穫量は783万トン。前年1992(平成四)年を274万トン下回った。それに対して需要量は971万トン。政府の管理する持越し米23万トンを足したとしても、全く足りなかった。
守:どうするの?!海外から輸入するとか?
慧音:そうするしかないな。政府はアメリカ、中国、タイなどから259万トンの米を緊急輸入することを決定。それまで、日本は国内農業保護のため米の輸入を一切禁止する方針を採ってきたんだが、それを曲げざるを得なかった。
まあ背に腹は代えられないよね…。でもこれで何とかなるかな?
この輸入米が新たな問題を引き起こしたんだ。
慧音:この時輸入された米の多くは、いわゆるタイ米と呼ばれるインディカ米。日本で生産されているジャポニカ米とは根本的に違う種類だった。
守:形が全然違う!そもそも米に種類があるなんて知らなかったよ。
慧音:日本米と比べ、タイ米は粘り気が少なくパサパサしており、香りも独特。炊飯器で炊いて白米として食べる日本式の食べ方とは相性が悪かった。
守:確かに茶碗に盛ったら何か見た目が悪そう…。
慧音:元々タイ米は加工用原料という想定で輸入してたんだが、結局食用としても流通させることになる。日本の食生活に合わないタイ米は消費者には大不評で、売れ行きは芳しくなかった。テレビでタイ米に合うメニューを紹介するなどの宣伝も行われたが、焼け石に水だったようだ。
最終的には100万トンのタイ米在庫が残ってしまい、廃棄されたり家畜の飼料に回されたりした。タイでは備蓄在庫を一掃して日本の輸入要請に応えたにも関わらず多くの廃棄が発生したことに対して、日本への非難の声が上がった。
頼まれて提供したのに捨てられたら、そりゃあ怒るよね。
慧音:タイ国内でも米値の高騰が発生したそうだからな…。国際的な米相場の混乱を招いてしまった。
結局需要は日本米に集中、買占めなどによって品不足に拍車がかかった。挙句の果てには、仕入れたヤミ米を売りさばく電気屋まで現れる始末だった。
守:去年(2020年)のマスク不足を思い出すね。あの時も飲食店がマスク売ったりしてたし。
慧音:オイルショック時のトイレットペーパー騒動といい、おんなじような事が起きるものだな。
最終的に翌1994(平成六)年の猛暑によって米の生産量は回復、事態は収束に向かった。この米不足による一連の混乱は、1918(大正七)年に発生した「米騒動」になぞらえて、「平成の米騒動」と呼ばれた。これを教訓として、政府は1995(平成七)年に食糧法を制定、100万トンを基準とする政府備蓄米制度を整備した。
米騒動
1918(大正七)年、米価の高騰が原因となって発生した全国的民衆暴動。
第一次世界大戦による折からの物価高騰に加え、シベリア出兵を見越した買い占めや売り惜しみによって米価が暴騰(戦前の4倍以上)。18年7月、富山県魚津の主婦らによる暴動をきっかけにして、騒乱は全国に拡大した。政府は軍隊を動員して鎮圧したが世論の反発を招き、時の寺内正毅内閣は退陣に追い込まれた。
旺文社『日本史辞典』より
おわりに
慧音:…以上が騒動の経過だ。
守:お米が食べられない状況なんて想像もできないけど、まさか平成になってこんな事があったなんて!
慧音:「米一粒でも無駄にするな」なんて少し古臭い言葉に感じるかもしれないけど、決してバカにはできない。生産者や流通者への感謝の気持ちを忘れないようにしたいものだな。
今回の講義は以上だ!
ありがとうございました!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
- 近藤純正「1993年の大冷夏 80年ぶりの大凶作」(日本気象学会、1994年)
- 北村修「1993(平成5)年夏の日本の異常天候」(『農業気象』49号、1993年)
- 気象庁HP URL:https://www.jma.go.jp/jma/index.html
- 農林水産省HP URL:https://www.maff.go.jp/index.html
編集後記:私が生まれる前の話ですが、母の実家が農家のため、我が家ではこの時米が食べられなくなることはなかったそうです。母の実家の方では、知り合いの家のお姑さんが「タイ米なんか食べたくない」と駄々をこねたため、米を融通してあげたそうな。